子供がいない頃、若かった時の自分はどこに行くにも車で、高速道路を使い県外まで遊びに行ったりしていた。
そんな自分も子供を出産してから、車に乗る頻度がグッと落ちた。
小さな子供がいると遠出はしずらいし、運転中ぐずったりしたら困るし、面倒だと思うようになり、出掛けるにしても近場で済ますようになった。
歳を重ねてきて、遠出して遊ぶことが重要ではなくなってきたというのもあり、自ら車を運転し遊びに行くことが本当に減った。
いつからか、車を運転すること自体にちょっとした恐怖心を覚えるようになってきた。
なぜだろう、いつからだろう、自分でも分からなかった。
18歳で車の免許を取得してからほぼ毎日車を運転してきたし、周りからも運転が上手いね、と言われてきた。
自分でも少しは自信があったし、車を乗ることは嫌いじゃなかった。
思い返すと、きっと少しずつの積み重ねが運転に対するストレスやトラウマになっているのかもしれない。
小学生の児童が急に飛び出してきて轢きそうになってしまったこと。(事故は起こしませんでした。急ブレーキで止まることができました。)渋滞中の道で、後ろの車に追突されたこと。台風の日、物凄い暴風雨で1m前の視界もない中運転したこと。(本当に怖かった、雨で前が見えず、ワイパーが全く効かずシぬか思った)職場の駐車場に車を停めていたら、ぶつけられたこと。
追突された事故に関しては車を修理するだけで済んだので良かったのですが、多分心の修理が済んでいない気がする。
今でも運転中はバックミラーばかり見てしまったり、止まる度に後ろから追突されないかビクビクしていたり。
そんなことが積み重なって「車を運転すること自体が怖くなっている」状態になってしまったようだ。
いつの頃からか、電車に乗るのも怖くなり、頑張って、勇気を出して電車に乗ろうとしても動悸が激しくなり電車が来ても見送ってしまうこともあった。(これは積み重なる自信喪失による恐怖なのか、この話はまた今度)
そんな中、ついに主人にも「運転するの怖い?ブレーキを多用してるから気になって」と気づかれてしまった。
主人は以前から私の運転を褒めてくれたりしていたため、「バレたか。」と、悲しくもあり少しの苛立ちも覚えた。苛立つということは図星なのだ。
私は運転が怖くて、前に車が居ないとスピード感が掴めなくて、架道橋を走った時には心臓がバクバクなり冷や汗出て、緊張した指先がビリビリした状態にもなったことがある。
そんな状態で運転するなよ、周りが迷惑するし、危なすぎるから車に乗るな!という声が聞こえそうだが、毎日通っている道、行き慣れた場所ならなんともなく運転はできるから生活に支障はない。
でも、私は、困っている私自身を救ってあげたい。
こんなに不安で辛くて自由じゃない自分を、解放して自由にしてあげたい。
主人に運転恐怖症がバレた私は、今すぐにでも自信を取り戻した自分を迎えてあげたかったため、自らに挑戦を課した。
それは、前ならすんなり行けた「郊外にあるショッピングセンターまで行く」というもの。
結果としては目的地までは辿り着けなかった。でも、住んでいる街の主要バイパスには乗ることができた。自分で走ることができた。
バイパスに乗る前は少し緊張した、でも、「ただ乗って走るだけだもん。全然平気だし、ただのドライブだし」と思考コントロールをし、ちゃんと走ることができた。本当に少し成長しただけだが、私にとっては大きな成長だった。
私のリハビリドライブ、少しの距離だったけど自分にとってはとても大きな一歩になった。
知人が以前話していたことがある。飛行機にも緊張して乗っている自分に「飛行機はただの移動手段。それ以上でもそれ以下でもないよ。私は必要以上に考えないようにしてる。」と伝えてくれたことがある。
飛行機も電車も車も、全て目的地までのただの移動手段。
考えすぎているから緊張するのだ。
怖いと思って挑戦しないと、自分の心はそこでストップしたままになってしまう。でも一歩踏み出して挑戦してみる、失敗したり出来なかったりしてもそれは自分の成長に繋がるんだということを今日身をもって体験した。
不安だな、怖いなと思うことはたくさんあるけれど、行動に移してみたら案外簡単に解決してしまうこともあるかもしれない。
いろんな人が言っているが、成長するには自らが行動しないと結果はついてこないらしい。
少しの成長を噛み締めて帰ってきた私は今、幸福感でいっぱい。
次はもう少し足を伸ばして、無理はせず、目的地まで行ってみようかなと思う。
交通安全を心に。
自分の思考ををクリアにするには日記やジャーナリングが有効です。
悩んでいたり、思い詰めてしまう時は、紙に悩みを書き出してみるといいと思います。
